先日は
◆小金井塾・Gグループ
◆信弟子の会(夜の部)
の講義でした。
学生さんに頂いたグレープフルーツ
(ありがとうございます!)
前回は
私が北京で1冊目の本を執筆中
週に4日はステーキを食べていたと
紹介しましたが
なんだか最近も
ステーキがマイブームで
やたらとステーキを食べています。
品川駅前にある「T.G.Lフライデーズ」の
外に面した席が気に入ったのもあり
なんだか頻繁に
お昼にステーキを食べているのです。
小学校6年生の時
初めて六本木のステーキハウスに行った時は
ステーキをおかわりして3枚食べましたし
1人目のカミさんとの新婚旅行の時
やはりステーキハウスで
まだ26歳と若かった私は
ステーキセット1人前(前菜、主食、デザート付)
海鮮セット1人前(前菜、主食、デザート付)
牛刺身3人前
を1人で食べました。
そういえば父も
80歳ぐらいまでは
外で「400gのステーキ」をペロリと食べてました。
彼は「ハンバーグを肉と認めない」ので
一緒の食事は基本「ステーキ」または「焼肉」でしたね。
まあ私は
ハンバーグも好きですが
肉食の血は
しっかり受け継いでいるようです。
先日は
◆北京中医薬大学・日本校(水道橋)
◆中医薬膳杞菊の会(春日)
の講義でした。
私は北京での大学院生時代
◆1冊目の自著本を執筆中(院生2年目)
◆卒論を執筆中(院生3年目)
は、ずっと家に籠りきりでした。
家の外に出るのは週に1回
1週間分の食材を買いに行く時だけでした。
簡単だし、大好きだしという理由で
週に4日ぐらいはステーキでしたね。
食事を挟んで
午前・午後・夜と勉強、執筆し
夜はお酒を飲んでから寝る。
毎日ひたすらこれの連続でした。
サンドラッグ漢方プロジェクト上級
の卒業証書にハンコを押している所
(目黒スタバにて)
妻子のいる30代の男が
妻子とは別居し
外国でこんな毎日を送っている…
やっぱり…
マトモな大人じゃありませんね。
今だって
◆間に仕事が挟まっているだけで
◆籠る場所に「スタバ」も加わっただけで
基本的には
同じような毎日を送っています。
本当に
こんな暮らしが「大好き」みたいです。
先日は
◆北京中医薬大学・日本校(水道橋)
◆小金井塾・Kグループ(本郷三丁目)
の講義でした。
私は幼い頃から
本当に勉強が好きで
だから大学を3つも卒業し
さらに大学院も出たのですね。
北京での留学中も
杭州旅行をきっかけに
中国「お茶文化」にはまり
その歴史の長さ
茶葉はもとより
水へのこだわり
茶器へのこだわり等々に
圧倒されました。
で茶器を通じて
陶磁器の歴史にもはまり
ひとしきり勉強しては
故宮(紫禁城)に出かけて
時代ごとの本物を鑑賞する
なんてことを繰り返していました。
また茶器には「絵付け」がしてある。
という訳で
水墨画の歴史も勉強し始めたあたりで
道楽はおしまい。
いよいよ大学院の卒論を書く時期になり
一端休止。
でも大学院の頃は
茶葉文化の深さに魂を奪われ
中国の農業大学の「お茶学部」に入ろうかと
本気で悩みました。
1人目のカミさんの
「もう勘弁してくれ」というオーラもあり
(もう子供が2人居ました)
自分でも「いくらなんでもやり過ぎだ」と思え
断念しましたが
今はそれで良かったと思います。
人間「使える時間とエネルギー」は
限られてますからね。
先日は
◆小金井塾・Tグループ(自由が丘)
◆あんずオルタ健康講座(新横浜)
の講義でした。
今日、学生さん達と飲んでいて
久しぶりに
仕事を始めた頃の話をしました。
私が東京に戻って
仕事を始めたのは10年前。
無名のクセに営業をしないので
最初は「年収30万」でした。
食費は「1ヶ月 最大¥3,000」
本当にお金のない時は
確か「¥70のあんパン」買って
2日に分けて食べてました。
でもその後は
順調に仕事が入り
本当にありがたかったです。
ただそうは言っても
頼る組織もなにも無い身なので
仕事が無くなったらどうしよう
という恐怖は
ずっとありました。
それが去年初めて
◆なんか大丈夫そう
(仕事はずっとありそう)
と思えたのです。
もちろん何の保証も無いですが
思えた事が嬉しかった。
という訳で
皆様のお蔭で食えております。
ありがとうございます。
感謝致します。
先日は
◆小金井塾・Sグループ(新橋)
◆漢方療法推進会・東北支部(仙台)
の講義でした。
去年は私にとって
転換期だったようで
夏に
父親が死んで1人になり
秋に北京に行って
北京時代を「すでに過去だ」と感じ
そして今年は
新しい風が吹いているのを強く感じます。
SグループSHさんの作品
(上手く撮れなかったけど美しくカッコイイです)
風といえば
私の次男坊
名前を「風知(ふうち)」と言います。
1人目のカミさんが
ヤツを身籠ったら
なんだか風が
吹き始めた…
ああコイツは
風を起こす男なんだなと思い
名前に「風」の字を使うと決めた。
でも風は…
危険なものでもある。
だから「風」という字に
風をコントロールする意味の字を添えようと思い
候補を幾つか考えて
その中で「一番字画の良い字」を選びました。
もうその次男坊が高校生!
そりゃあ時代も変わりますね。
私の父親も
字画本を駆使して「信宏」という名を考えてくれた
この名前を背負いつつ
自分の為にも、子供たちの為にも
新しい風を存分に受けつつ
生かされる限りは生きて行こうと
そんな気持ちの
春ですかねぇ。
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