7月末は大阪で
「漢方療法推進会・近畿ブロック」さんの講義があり
その後、夜は大阪の「吟味屋(ぎんみや)」で
焼肉をごちそうになりました。
ありがとうございます。
毎日『傷寒論』の勉強が楽しくて
昔の私だったら…
これを毎日
朝から晩までずっとやり続けたいと思ったはず。
でも、今は思わない。
講義中に頂いたスターバックス・ラテ
(ありがとうございます!)
明日も来年も「この勉強」したいとか
明日も来年も「この人」と居たいとか
そういう欲望に魂が占拠されている時
その瞬間
その魂には「感謝」が欠けている
それは「地獄の始まり」なんだと
思うからでしょうね。
対象は何でも良いですが
何かを
今日も欲しい、明日も欲しい
もっともっと、ずっと欲しい
その保証も欲しい
なんていう「感謝<欲望」な状態は
すでに「生き地獄」だと思うのです。
最近は、そんな感覚が強いので
限りある命(時間)の中で
思う存分『傷寒論』の勉強ができた
そんな充実した「夏が1つ」あった
それだけで幸せで
そんな人生で良かったなと思うのです。
この3~4年
今日は「生きている父」と会えたが
明日は分からないと思い
毎回その瞬間を楽しみ
その1日に感謝して過ごして来たので
自然と「一期一会な精神」が
身に付いたのかも知れません。
28日(木)に
父が亡くなりました。
私がブログなどに書くせいなのですが
ブログやツイッターなどを見てご心配頂いた方々
本当にありがとうございました。
朝、駆けつけた時にはもう
意識はなく、脈もなく…
でもずっと脈をとっていたら
1分ほどして
「●●●●●」
と5回
脈と呼べる拍動があり
さらに3分ほどしたら
同時にとっていた「手陽明脈(合谷穴)」に
やはり1回だけ
脈とよべる拍動がありました。
胃気が失せた
瞬間でしょうかね。
後はもう
脈とは呼べない微かな波動が
たまに緩~く起こるだけ。
でもそれも…
10分ほどで無くなりました。
父が入院してから
1年8か月
物理的には
私が父を支えて来たのかも知れませんが
精神的には
私が父に支えられていて…
本当に楽しい20か月でした。
いよいよ…
1人で生きて行く時代が始まったようです。
進んで
参りましょう。
7月末は「小金井塾・Tグループ」
と「北京中医会」さんの講義がありました。
前回のブログに書いた内容を
確かめようと思い
今日は1人で渋谷に行き
3時間「自分の買い物」をして来ましたが…
案の定…
疲れないどころか、元気になりますね(↓)。
話は変わりますが
この2~3週間
毎日『傷寒論』の勉強をしています。
毎日楽しくて
こんなに面白いもの、他にはない!
という感じです。
『傷寒論』という本は
著者が
読者を選んでいる。
つまり
言っている事が「解らない奴」は
解らなくて良いという姿勢。
もの凄い…
カルチャーショックです。
現代は、本でも講義でも
解りやすいものが「良い作品」「良い商品」!
つまり、とっても「バリアフリー」
でも…
『傷寒論』は「バリアフル」
そもそも教養のない奴は
この「言葉のパズル」を解けない奴は
寄って来るな
という感じの書物です。
古代の中国には
こんなに「スゴイ物」を創るインテリ達が居た。
超一流の「医学書」が
超一流の「芸術品」でもあるなんて…
すさまじすぎる。
カッコよすぎる。
ただただ
ただただ
尊敬致します。
7月末、本の執筆も大詰めの頃
「目に疲れが出ている」と言われました。
7月末は2週連続で「(株)サンドラッグ」さん
の講義がありました。
1週目、NMさんが用意下さったお茶。
(ありがとうございます!)
1週目、NMさんが淹れて下さったお茶。
(ありがとうございます!)
先日、
上2人の子供の誕生プレゼントを買いに行き
彼らと一緒に2~3時間歩き回ったら
なんだか、ものすごく疲れた。
また今日は
3人目のカミさんだった女性と
3人目の子供に名古屋から出て来てもらい
父の病院に行ってもらったのですが
3時間ぐらい一緒に行動すると
やはりかなり疲れる。
1人で行動していれば
こんなには疲れないのに。
つまり、マイペース過ぎて
人と共存することが難しいのですね。
自分がいかに「ダメな大人」なのかを
今更ながら体感し
これから先「仕事」に悪影響がないか
とても心配になりました。
2週目、NMさんが用意下さった飲み物。
(ありがとうございます!)
2週目、NMさんが淹れて下さったお茶。
(ありがとうございます!)
そういえば毎日カフェに行き始めたのも
そもそもの目的は「社会に慣れる訓練」
5~6年前まではまだ
1日中家に居る日が多く
たまに仕事に行くと
靴をはいている事に疲れるなんて感じだったので
とにかく毎日!
靴をはいて外に出よう
カフェの店員さんと会話でもして
何日も人と口をきかない様な生活を止めよう
と思ったのです。
そう考えると…
以前よりはマシというか
ちゃんと進歩していますね。
もう少し!
もう少し!!
ちゃんとすると良いですね。
先日は「漢方療法推進会・中部支部」の講義で
名古屋に行ってきました。
行きの新幹線で。
(↑バラ買いで「合計¥3,000ほど」。高い!)
立て続けに「伯父と伯母の葬儀」があり
色々な人たちと話をしましたが
私の両親を知っている人
つまり両親を通して私を見ている人
そういう人と話す時の安心感というのは
格別です。
心の中に
この安心感じゃなきゃ開けない部分がありますね。
伯父と伯母のように
60年も連れ添っていれば
お互いがお互いに対して
その安心感を与えられる存在なので
良くも悪くも
深く魂に入り込める関係なのだと思います。
幼馴染みの強みも
きっと、そこにありますね。
まあでもそんな安心感
いなかの村にでも住んでいれば
結構いつまでもあるのでしょうが
東京に生きるオトナにとっては
ものすごい「ぜいたく品」
1種の麻薬ですらあるような気がします。
7月、まだ元気だった頃の父
(私のスカルの指輪が気になり嵌めてみた所)
つまり
あんな安心感が身近にあったら
自分がダメになりそうで
恐くて近づけない感じもありますね。
手に入れて失うのが
恐いのでしょうかねぇ。
手に入れたものは必ず失うと
そう思って生きるようにしているのですが
それでも
手に入れないに越したことは無いぐらいの
危険物なのでしょうねぇ。
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