28日(木)に
父が亡くなりました。
私がブログなどに書くせいなのですが
ブログやツイッターなどを見てご心配頂いた方々
本当にありがとうございました。
朝、駆けつけた時にはもう
意識はなく、脈もなく…
でもずっと脈をとっていたら
1分ほどして
「●●●●●」
と5回
脈と呼べる拍動があり
さらに3分ほどしたら
同時にとっていた「手陽明脈(合谷穴)」に
やはり1回だけ
脈とよべる拍動がありました。
胃気が失せた
瞬間でしょうかね。
後はもう
脈とは呼べない微かな波動が
たまに緩~く起こるだけ。
でもそれも…
10分ほどで無くなりました。
父が入院してから
1年8か月
物理的には
私が父を支えて来たのかも知れませんが
精神的には
私が父に支えられていて…
本当に楽しい20か月でした。
いよいよ…
1人で生きて行く時代が始まったようです。
進んで
参りましょう。
5月4日は 「母の命日」 だったので
母の教え子であった友人と墓参に行きました。
池上、本門寺・入口
男というのは、特にそれが 「仕事」 であるならば
やりたい事だけを
目一杯やって生きていてもなんとなく許される。
(ラクですね)
でも女性は、なかなか同じようにはいかない。
そんな中、私の母は
女性としては比較的 「好きなことを思う存分やり続けた人」
のように思います。
「父」 と 「まだ幼稚園に入っていない私」 を残して
アメリカに3カ月留学したりしてましたからね。
(1960年代の 「にっぽん」 で)
私は…、友達の家に泊まっていました。
( ↑ 昭和の下町)
本堂より振り返る
まあ 「親」 としては欠陥があったと思いますが
それは 「私」 も同じこと。
クラスやスピーチなど 「アウトプットの天才」 でしたし
70代になっても
死ぬ前の晩まで 「仕事の勉強」 を続けていた
あの 「プロ根性」 は
心の底から尊敬しています。
私も、見習いたいものです。
来てくれた友人 (ありがとうございます)
(許可を得て掲載しています)
先日は 「母の7回忌」 をしました。
私は 「母の墓を建てた」 時から
神楽坂の 「毘沙門天(善国寺)」 の檀家なのですが
母の墓は
池上の 「本門寺」 に建っています。
どういうことかというと…
◆毘沙門天 (善国寺) が本門寺にもっている土地に
お墓を建てた
のです (どちらも日蓮宗)。
神楽坂の毘沙門天
私は
◆本門寺の坂下にある幼稚園に通い
◆小学校時代は 「本門寺グランド」 で遊び
◆本門寺のとなりにある中学に通った
という感じで、本門寺と共に育ちました。
毘沙門天で頂いた 「お茶と菓子」
(ごちそうさまでした)
とくに中学の頃は
◆表参道96段の石段をうさぎ跳びで昇り降りしたり
( ↑ 昭和なクラブ活動)
◆ホームレスさんが墓地に置いていった雑誌 (← どんな雑誌?)
を皆で拾いに行ったり
( ↑ ネットが無い時代の小僧たちの行動)
色々とお世話になりましたね。
檀家なので、毎年 「お会式」 の時には寄付をします。
(お会式=日蓮さんが無くなった日を記念する催し)
父の手術が明日にせまり、私もお腹がどんよりして
昨日からひどい下痢が続いています。
(重たい話ですいません)
気持ち (こころ) が沈んでいる時は
心臓も重たくて
力を入れないと 「息」 が深く入りません。
ワッフル
で、そんな時に癒されているのが
◆白湯 (さゆ) !
あの 「熱」 に癒されるのです。
そういえば前も、心がぼろぼろだった時
(↑ 私が悪いんですけどね)
友人たちの小さな情が本当に身に沁みたものです。
◆生命は 「熱」
◆人を癒すのも 「熱」
◆愛もまた 「あたたかさ」
そう考えると
中医学がいう 「清熱薬」 でさえも
最終的には 「熱」 をもたらしているのでは?
そんな仮説を立てたくなります。
カメ
たとえば音楽だって
「フルートの音色」 とか 「児童アカペラ合唱」
みたいな天使の音色だけが魂を癒す訳ではないでしょう。
時には
◆「ボーカルの激しい叫び声」 とか
◆一流ドラマーが刻む 「とにかく安定したリズム」
とか色々なものが人の魂を救うと思います。
私も
◆ダリが描いた 「ウロボロス」 の原画
をみてカタルシスが起こり、気持が吹っ切れたこともあります。
看板
(あんまり入りたくない)
そういえば前に、心がぼろぼろだった時
(↑ 私が悪いんですけどね)
銀行のATMで私の後ろに並んでいた中年女性
一瞬目が合っただけで、彼女は私の状態を見抜き
反射的に泣いていました。
そして慌てて出て行きました。
後にも先にも1回だけの出会いでしたが
あの 「理解」 と 「涙」 には癒されました。
やっぱり 「あったかかった」 んですね。
私、たとえば 「蜘蛛」 とか他の生物でも
そういう出会い、ありますね。
フリスク・ロボット
(港区・クラシエ製薬 (株) 本社にて)
(許可を得て掲載しています)
28日は 「昨年死んだ親友の命日」 だったので
富士霊園にいってきました。
ロマンスカーで食べた駅弁
あっという間の1年でしたが
ヤツが死んだ影響は
とてつもなく大きかったですね
開けたところ
(「カブの酢漬け」 が美味しかったです)
あいつが死んで以来
「命があることの奇跡」 を毎日、感じ続けているので
「ちゃんと命を燃やしたか」 を
どうしても毎日チェックしてしまいます。
◆自分で納得がいく1日だったか?
◆今日の自分をみて、私に命を下さった
「神様」 や 「ご先祖様」 はがっかりされないか?
という感じですね。
駅弁を食べる私
あとは死んだ親友が言っていたこと
◆「私」 よりも 「私のことを知っている男」
であった彼が
私にくれた幾つもの言葉を
かみしめながら生きてますね。
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