大晦日・元旦・正月2日 と、講演の準備をし
勉強して 「たくさんの情報」 に触れること
その大切さを再確認しています。
元旦、父の病室に 「おせち」 を持ち込みました。
私、高校時代はサッカー部で
夏合宿の時は 「OBの大学生」 にしごかれて
ゲロ吐いたぐらいじゃ許されず
「体力の限界」 まで走らされました。
今はそんな 「昭和なしごき」 は無いでしょうが
一度限界を知ると
その後 「体とのつきあい」 が変わります。
カプチーノ (新宿)
私の経験では 「勉強も同じ」 です。
◆脳ミソがおかしくなるほど勉強する
◆脳ミソが 「情報の理解」 を拒絶し
◆本を読んでもインプットが不可能になる
そんな状態を何度も経験すると
情報との 「つきあい」 が変わります。
アップルパイ (有楽町)
◆海を見たことがある
(海の広さは知らないが感じたことはある)
とでも言いますかね。
たとえば中庸なんて
限界を知らない人には
永久に理解できないと思います。
思想でいえば
左翼を極め、右翼を極めた人でなければ
どこが中道 (真ん中) かなんて判る訳無いですよね。
ダシ巻き卵 (新宿)
学問も同じだと思います。
なるべく中道 (ニュートラル) でいる為には
常に 「情報の海を俯瞰しながら」 「海の中でアップアップしている」 必要がある。
限界を知っている人間は溺れないし
方位磁石も持っている。
そんな状態で海の中を泳ぎつづけて
「どんどん変わる景色」 という芸術作品と出会い
たくさんのカタルシスを体験しながら
人生を進め
いつか人生を、終えたいですね。
今年も、よろしくお願い致します。
富士山
(知り合いのクラブのママさんが送ってくれたもの)
毎日 「もうひと無理」 をして
個人的な勉強をし始めて3カ月、たとえば
◆長沢元夫先生の 『傷寒論』 研究
の勉強を始めて…
少し認識が深まりつつある中で
今まで3回挑戦したけれど、よく意味が分からなかった
◆胡希恕先生の 「経方応用法」
(↑20世紀・傷寒派の老中医)
と、もう一度向き合ってみました。
ケーキ
向き合ったのは 「桂枝加苓朮附湯の応用法」 でしたが
◆手に取るように意味が分かります!!!
(嬉しい!)
そしてこの方剤を作ったのは
江戸時代の漢方医・吉益東洞。
そこで桂枝加苓朮附湯の出典である
◆吉益東洞著 『方機』
も見てみたのですが
◆吉益東洞が桂枝加苓朮附湯の適応症について
◆どうして 「ひとことも寒といわず湿を強調しているのか」
も 「手に取るように」 分かります。
先輩たちは 「本当に色々知り尽くしていた」 のですね。
スゴイです。
でも私だって…
「学問」 と 「自由」 のために
◆どれだけの恨みを買おうが
◆どれだけのリスクを背負おうが
切り捨てられるものは全て切り捨ててきた人間です。
シャーベット
◆昨日知らなくて 「今日知ったことはなに?」 と毎日聞かれて
◆ 「1年に365回答えられない人間」 なんてプロじゃない!
と 「私は」 思います。その上で
◆「プロの中のプロ」 の中のプロ
「本物のプロフェッショナル」 になってやる!
ともう一度誓い直した今宵でした。
今日、父がまたショック状態に陥り
緊急入院したせいでしょうか…。
私に 「生命の火」 をキャンドルサービスしてくれた人の
その人の 「キャンドルの火」 が揺らいでいます。
生命の宿命ですね。
私 「1年365日」 中医学の勉強をしています。
だから当然、過ごした時間の分、認識は進歩します。
たとえば 「3年前の私」 が、「今の私」 の前に立っていたら
◆キミ、まだ 「●」 と 「●」 について良く分かってないよね
とか 「た~くさん言えちゃう」 訳です。
でもそんなこと、毎日勉強していれば当たり前ですよね。
で、今年の7月頃でしょうか
◆オマエ、今後もそんな 「ぬるい進歩」 を続けるつもりか!
◆せっかく頂いた命、そんな使い方で良いのか?
◆ノロノロしてたら人生終わっちまうぞ!
という 「強烈な想い」 が生まれました。
理由の1つは
昨年死んだ親友に 「ガンの診断」 が下ったのが
昨年の7月だったからだと思います。
「命の儚さ」 「命がある奇跡」 を思ったら
自分の毎日の過ごし方は
◆命にたいする感謝がたりない
と感じたからでしょうね。
ピザ・マルゲリータ
もう1つの理由は、ブログにも書きましたが
サンドラッグさんの仕事を通じて
今まで見えなかった 「中医学の姿」 を見たからでしょう。
◆もっともっと中医学を知りたい!
という強烈な想いが湧き続けています。
で7月頃に 「新しい目標」 を決めました。
それは
◆3年後には、「現在の私」 が 「全く敵わない」 ぐらい
中医学に詳しい人になっていよう
というものです。
つまり、ただ 「3年分進歩したね」 なんていうのではなく
◆「今の私」 に向かって 「君、まだシロウトだね」
と言えちゃうぐらいになりたい
のです。
という訳で、この2カ月ほど
毎日 「もうひと無理」 をして時間を作り
勉強をするようにしています。
とりあえず
楽しいです。
イタリア産ボルチーノときのこのブラウンソースピザ
蔵象学説の 「脾」 の講義をするために
脾のはたらきの1つである
◆脾蔵意 (脾は意を蔵する)
の復習をし、その関わりで
◆五志 (神・魂・魄・意・志)
の復習もしました。
五志というのは
◆人間の意識・精神・魂・記憶
などと関わる働きを5つに分ける方法です。
復習で 『黄帝内経』 を読んだのですが
勉強が足りなくて
肉付けをした理解が十分にできません
世界大会優勝を目指す
若き天才パティシエに頂いたケーキ
という事で
『黄帝内経』 を読んでいたら
◆ものすごい勉学意欲
が湧いてきました
なんというか
◆もっともっと中医学を知りたい!
という衝動ですね。
ちなみにこの衝動は、「五志」 でいえば
◆意
に属するこころの働きです。
そしてこの衝動 (エモーション) を受けて
◆「勉強するぞ」 と決めた時
◆「意」 はすでに 「志」 になっている
と解釈できます。そして
◆「意」 は脾にしまわれ
◆「志」 は腎にしまわれている
面白いですね。
ケーキを切ったところ
↑
パティシエの世界大会は
2年に1度開かれるそうですが…
彼はこのまま順調に準備すれば
優勝できるでしょうと言っていました。
そう 「言えちゃう」 のはスゴイです。
◆意と志を束ねる 神 (つまり心=こころ) が
強いリーダーシップを発揮している
ということでしょうね。
まさに
◆所以任物者、謂之心*
(人間がすることの責任者は心である)
という感じです。
――――――――――――――――――――――――――――――
*
『黄帝内経・霊枢』・本神より
(訳は 「コガネイによるかなり自由な訳」)
私もそれなりの時間、中医を学んでいますが
時期によって、気持ちはどんどん変化します。
簡単に流れを紹介すると…
[時期①] 勉強しても認識がつながらず心配した時期
↓
[時期②] 認識がつながり始め、面白く楽しかった時期
↓
[時期③] 本や原稿を書く仕事を始め
勉強のモチベーションが、純粋な好奇心や
楽しみだけではなくなり…
そんな「不純な自分」が許せず悩んだ時期
私、学問というものは
純粋に「知りたいから」「知ることがたのしいから」
という理由でするべきだと思っていたのですが
[時期③]の頃は、なんだか勉強が
◆文章を書くための取材
みたいになってしまい「自分はすっかり汚れてしまった」
と、本当になんだか憂鬱でしたね。
◆もう自分に「学問をする資格」はない!
などと考えて「勉強することを禁止」
したりしてました。
↑
これはMではありません。
私、基本がSなので、自分に対してもSなのです。
で、その後[時期④]がやってきます。
[時期④] 仕事で好きな勉強ができるなんて幸せじゃないか!
個人的な勉強がしたいなら、すればいいじゃないか!
と考えるようになった時期
で、どうも去年ぐらいから
また新しい時期に突入したように思います。
全てをうまくは言えないのですが…
まず思っているのは
◆「講義」でも「本の執筆」でも、とにかく
「プロの中のプロの中のプロ」 ぐらいのクオリティを目指したい!
ということですね。
さらに思っているのは
◆せっかく頂いた命を
もっともっと「ちゃんと燃やしたい」
みたいな衝動ですかね。
ただ「やみくもに燃やす」のではなく
「どう燃やすのか」とか
「燃やしている火のクオリティ」とか
そんな事を気にするように
なったのかも知れません。
別のインドカレー屋のセット
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